考えるためのコラム

苦しみは報われるのか

苦しんだ分だけ、いつか成長や幸せとして返ってくる。そう考えたくなることがあります。でも、その約束は誰にもできません。

苦しんだことと、報われることは別の話

大変な時期を越えたあとに、「あの経験があったから今がある」と思えることはあります。そこから価値観が変わったり、人との関わり方が変わったりすることもあります。

けれど、それは苦しみそのものに、あらかじめ報酬が付いていたということではありません。

長く苦しんでも、何も得た感じがしないことはあります。失った時間や機会が戻らないこともあります。苦しみを経験した人が、必ず強くなったり、優しくなったり、人生の意味を見つけたりするわけではありません。

「この経験にも意味があるはず」が負担になることがある

苦しい時に、「これも成長のため」「いつか役に立つ」と考えることで持ちこたえられるなら、その考えを否定する必要はありません。

一方で、意味を見つけられない自分を責め始めるなら、その考えは重荷になります。

つらかった出来事から教訓を取り出せなくてもいい。前向きな物語に変えられなくてもいい。「ただ苦しかった」としか言えない経験があっても、それだけで何かに失敗したことにはなりません。

苦しみを減らすことは、物語を途中で捨てることではない

「ここまで耐えたのだから」「ここでやめたら今までが無駄になる」と考えると、苦しみそのものを続ける理由が生まれることがあります。

けれど、過去に耐えた時間と、これからも耐えるべきかどうかは別です。治療を受けること、環境を変えること、休むこと、やめること、助けを借りることは、過去の苦労を否定する行為ではありません。

意味は、あとから作られることもある

ある経験の意味は、その最中に決めなくても構いません。数年後に見方が変わることもあれば、最後まで「必要のない苦しみだった」と思うこともあります。

どちらが正しいということではありません。

大事なのは、苦しんだ事実を正当化するために、無理に価値を付けなくてもいいということです。意味が見つかったなら持っていていい。見つからないなら、空欄のままでもいい。

「報われるか」より、「これ以上どうしたいか」

過去の苦しみが将来どのような意味を持つかは、今すぐ確定できません。それなら、苦しみが報われるかを判定するより、これ以上何を減らしたいか、何を守りたいか、何を取り戻したいかを見る方が、今後の選択にはつながりやすいかもしれません。

苦しみに価値がなくても、自分の時間には価値があります。

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この文章の範囲
これは「苦しみには意味がない」と断定する記事でも、「苦しみから成長すべき」と勧める記事でもありません。苦しみを正当化せずに、その後の意味づけを本人に残すための編集コラムです。