考えるためのコラム
病んでいること自体がアイデンティティ?
心のしんどさが長く続くと、「つらい状態にある」ことと「自分はこういう人間だ」という感覚が、だんだん重なって見えることがあります。
タイトルでは日常語として「病んでいる」を使っています。診断の有無や重症度を一括りにする意図はありません。
状態を説明する言葉が、自分の説明になる
調子を崩した直後なら、「今はうつっぽい」「今は何もできない」と、状態として捉えやすいかもしれません。
けれど、それが数か月、数年と続けば、生活の選び方、人との距離、できること、できないことまで、その状態を前提に組み替わっていきます。すると「今こういう状態だ」よりも、「自分はこういう人間だ」という感覚に近づくことがあります。
それ自体が悪いわけではない
病名や「病んでいる」という言葉によって、それまで説明できなかった経験が整理できることもあります。同じような経験を持つ人の言葉が、自分を理解する助けになることもあります。
だから、心の不調を自分の一部として扱うことを、すぐに「病気に逃げている」「病人役にしがみついている」と決めつける必要はありません。
ただ、「それしかない」状態は少し苦しい
難しくなるのは、自分について説明しようとした時に、症状、病名、つらかった出来事以外の言葉がほとんど出てこなくなった時です。
好きなもの、嫌いなもの、考え方、人との関係、やってきたこと、これからやってみたいこと。そうした要素が見えなくなり、「病んでいる自分」だけが残ると、状態が変わることさえ不安になる場合があります。
良くなったら自分ではなくなるのではないか。今までの苦しみがなかったことになるのではないか。そう感じるなら、回復そのものではなく、「回復した後の自分をどう説明するか」がまだ見えていないのかもしれません。
良くなることは、過去の自分を否定することではない
以前より動けるようになることと、以前の苦しみが本物だったことは両立します。症状が弱くなることと、その時期が自分の人生の一部であることも両立します。
「病んでいた自分」を切り捨てなくてもいいし、「病んでいる自分」を守るために今の苦しさを維持する必要もありません。
アイデンティティは、一枚の名札ではない
人は、仕事をする人でも、家族の一員でも、友人でも、趣味を持つ人でも、何かを怖がる人でもあります。心の不調も、その中の一つとして存在できます。
問題は「病気が自分に含まれているか」ではなく、「それだけで自分の全部を説明しなくてはいけない状態になっていないか」と考える方が扱いやすいかもしれません。
これは診断や治療方針を示す記事ではなく、自己理解のための問いを整理する編集コラムです。